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東京地方裁判所 平成3年(ワ)8452号 判決 1994年2月22日

原告

縣武之

被告

天野勉

ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告らは、各自、原告に対し、金一五六二万一三六二円及びこれに対する昭和六二年一一月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用の被告らの負担及び仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、交差点において停車中の自動二輪車に普通貨物自動車が追突したため、自動二輪車の運転者が、普通貨物自動車の運転者及び保有者に対し、人損のうち事故発生の日である昭和六二年一一月五日から平成三年四月末日までに生じたものについて賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実

1  本件交通事故の発生

事故の日時 昭和六二年一一月五日午前一時ころ

事故の場所 東京都板橋区東山町三六番地先交差点

加害者 被告天野勉(以下「被告天野」という。加害車両を運転)

加害車両 被告誠和運輸有限会社(以下「被告会社」という。)所有の普通貨物自動車(多摩一一い五五八二号)

被害者 原告。被害車両である自動二輪車(横浜ぬ六四一〇号)を運転。

事故の態様 原告が被害車両を運転し、前示交差点で停止していたところに、被告天野がその後方から加害車両を運転し、赤信号で急停止しようとしたが間に合わず、被害車両に追突した(追突の態様については、争いがある。)。

2  責任原因

被告天野は、加害車両を運転中、前方の注視を怠つて被害車両に追突したから民法七〇九条に基づき、また、被告会社は、加害車両を保有していたから自賠法三条に基づき、それぞれ本件事故について損害賠償責任を負う。

3  損害の填補

原告は、被告ら又はその保険会社が病院に直接支払つた分を除き、三七六万一〇七八万円を受領した。

三  本件の争点

1  原告の損害額

(一) 原告は、本件事故により、右手、右肘、両下腿挫傷、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷害を受け、このため事故日である昭和六二年一一月五日から平成三年四月末日までに次の損害を受けたと主張する(原告は、未だ治療継続中であるとして、本訴において、本件交通事故により生じた損害の一部を請求している。)。

(1) 治療費関係

<1> 治療費(被告ら又はその保険会社が病院に直接支払つた分を除く。) 一五六万〇四六九円

<2> コルセツト代 二万〇七五〇円

<3> 入院雑費(一日当たり一二〇〇円) 二八万五六〇〇円

<4> 通院交通費 一八六万八八四〇円

<5> 通院のためのガソリン代 八七五五円

<6> 医師への謝礼 四五〇〇円

(2) 休業損害 一〇七三万三五二六円

原告は本件事故当時大工であつて年間二二〇日につき一日一万四〇〇〇円の日当を得ることができたとして(年間三〇八万円)、昭和六二年一一月五日から平成三年四月末日までの分を請求。

(3) 慰謝料 三五〇万〇〇〇〇円

入通院慰謝料として右金額を請求(右傷害の治療のため入院二三八日、通院一〇三三日)。

(4) 弁護士費用 一四〇万〇〇〇〇円

(二) 被告らは、原告が本件事故により右傷害を受けたことを争い、特に、頸部や肩部の症状及び腰痛は、いずれも原告が本件事故前から有していた頸部脊柱管狭窄及び変形性腰椎症、腰部椎間板症により生じたものであるとして、本件事故との因果関係を争う。そして、本件事故と因果関係のある傷害は、本件事故後約三ケ月を経過した昭和六三年一月末日に治癒するはずであるから、本件事故と相当因果関係のある損害は、次に限られるべきであると主張する。

(1) 治療費関係

<1> 治療費(被告ら又はその保険会社が病院に直接支払つた分である四三万円を除く。)三三万一八九〇円

<2> 通院交通費 一万九二七〇円

(2) 休業損害 三八万六四〇二円

原告の本件事故前の月収は平均して一九万三二〇一円であり、当初の一カ月は全休、後の二カ月は半休として計算。

(3) 慰謝料 四二万〇〇〇〇円

2  過失相殺

被告らは、本件事故のあつた道路は片側二車線の道路であるから、原告は歩道よりの車線を通行すべきであるのに、両通行帯を区分する線上を走行し、かつ、停止したため、加害車両と接触したものであり、原告の右走行、停車方法も事故に寄与したとして、過失相殺を主張する。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様と原告の治療経過について

1  甲一の21、24、25、二の1ないし8、三、四、七、九、乙一ないし三、五、原告本人、被告天野本人に前示争いのない事実を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 本件事故のあつた交差点付近は片側二車線の道路であり、原告は信号に従い歩道よりの車線とセンターラインよりの車線を区分する線上に被害車両を停車していたところ、被告天野は、交差点の手前になつてはじめて信号が赤となつていること及び被害車両の存在に気がつき、加害車両を停車しようとしたが間に合わず、被害車両の右マフラーから右ハンドルにかけて追突ないし接触し、このため原告は路上に転倒した。原告は、救急車で金子病院に運ばれたが、同病院では左肘部及び関節並びに両下肢の向こう脛の湿布の措置を受けたに止まり、右応急治療の後、原告は、約一〇分ほど歩行して事故現場に戻り、自ら被害車両を付近の交番まで運転し、その後警察で事情の聴取を受けた。

(2) 事故当日である昭和六二年一一月五日、原告は、帰宅途中で腹部の痛みを感じ、横浜南共済病院で診察を受けた。初診時のレントゲンの所見によれば、原告には腰椎に経年性の変形性脊椎症性変化が見られ、右手、右肘、両下肢挫傷、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷病名で治療を受けた。事故当日から血便があり、翌日も全身に疼痛があり、特に両肩痛がしたことから、原告は、同病院に通院したが、同病院では入院患者多数のため、同月七日から衣笠病院に入院して下血に関する精密検査を行つた。しかし、腹臓部に異常がなかつたことから、同月一一日に退院し、翌一二日に以前から持病で通つていた汐田総合病院の診察を受けた。同月二一日からは、横浜南共済病院への通院を再開し、以後は、同病院の入通院を繰り返している。

(3) 右同日からは、頸痛も顕れ、その後、原告には、頸、肩、腰の痛みが持続し、他覚的にも、傍脊柱筋に緊張がある等の所見が見られる。一二月二日には下血が止まつたが、項部痛が出現し、また、昭和六三年一月一二日に自宅でキヤツチボウルをしていたら腰部痛や両下肢の痛みが出現した。このように肩、腰等の痛みが持続したことから、二月二日に検査目的のため入院し、脊髄造影をしたところ、第五、六頸椎に前方よりの圧排がみられ、また、第一仙椎神経根に軽度の途絶が見られた。これらの所見があつたことから、二月七日からは、頸部交感神経(星状神経節)ブロツクのための注射による症状軽減措置が図られた。右注射の効き目のある間は症状が軽減することから同月二〇日に退院し、三月二八日に幼稚園の改造工事をしたが、両臀部及び両下肢外側に痛みを持たらすこととなつた。四月六日からは脳梗塞、不眠症の傷病名も加わつて通院治療し、六月までは右ブロツク注射を行つたが、七月からはほぼ毎日介達牽引のリハビリテーシヨンを行い、九月ころには大工仕事をするようになつた。しかし、仕事をすると夜に頸部や腰部の痛みがするのでこれを中断し、リハビリテーシヨンや痛み止めの投与を継続するようになつた。同年暮れころからは症状に波ができ、平成元年三月には安静にしていると楽であるが、少し仕事をすると頸部痛、腰痛がする状態となつた。八月には抑うつ状態、便秘症、頸椎捻挫後遺症の傷病名で神経科にも通つたが、一進一退の経過であり、平成三年四月末日も症状は変わらない。

(4) 原告は、平成元年一〇月四日に検査入院したが、その結果、第五頸椎と第六頸椎に軽度圧迫及び軽度のヘルニアが見られ、平成二年五月の診断でも第五頸椎が第六頸椎に対しやや前方に偏位し、正常な湾曲が損なわれていて、その間の脊椎管が狭窄し、さらに同部位の靱帯が肥厚しているとの症状が見られる。同月九日に担当の藤井医師はあと三ケ月で症状が固定すると思われるとの診断している。

(5) 原告は、二三歳の頃からヘルニアが原因の腰痛となり、五年に一度ずつは通院しており、本件事故前から加令による変形性脊椎症の既往症がある。また、喘息の既往症があり、胆石や虫垂炎の手術も受けている。

2  以上の事実に基づき原告の本件事故による傷害の内容を検討すると、少なくとも、原告の右手、右肘、両下肢挫傷については、本件事故と因果関係のあることは明らかである(被告らもこのことは争つていない。)。

問題は、原告にはヘルニアが原因の腰痛があることから、頸椎捻挫と腰椎捻挫と本件事故との因果関係である。この点、横浜南共済病院の藤井医師は、右因果関係をいずれも認め、頸部・背部痛、腰痛や時として全身痛があり、増悪時は鎮痛剤が効かない場合もあることから、少なくとも平成三年四月末日までは就労が不能であつたとの見解を示している(甲一一の1ないし3、調査嘱託の結果)。他方、国立療養所村山病院整形外科の大谷医師は、原告の診療記録やレントゲン写真等を資料として鑑定した結果、<1>原告には、変形性腰椎症、腰部椎間板症の既往症があり、このため第四、五腰椎椎間狭小、頸部及び腰部脊柱管狭窄がみられるが、これらの症状は加令による脊椎の変性に基づくものであつて、本件事故とは無関係のものである、<2>本件事故に起因する傷害としては上肢下肢の打撲、腰部の打撲、頸部の軽い挫傷程度であり、なお、下血を持たらした腹部傷害は本件事故との因果関係は明らかではない、<3>これらの傷害は三ないし五週間の通院治療で足りる、<4>本件事故により前記原告の既往症による愁訴悪化は考えられるが、これも五週間以内の治療で足りる、<5>原告の治療長期化の原因の一つとして、初期治療に当たつた医師が原告の既往症と本件事故による傷害の内容についての説明、同意不足が考えられる、との見解を示しており(乙四)、藤井医師の意見と相違する。

よつて検討すると、藤井医師は、原告の既往症の点に全く触れることなく前示の見解を述べるに止まらず、「病歴には記載がない」として(調査嘱託の結果)、原告の既往症の存在を否定しているように見受けられる。しかし、前認定のとおり、横浜南共済病院の初診の際のレントゲン所見の結果により、原告の腰椎に経年性の変形性脊椎症性変化のあることが認められているのであり、既往症に触れることなく因果関係の存在を認めた同医師の見解は、直ちに採用することができない。もつとも、前示の既往症があるとしても、本件全証拠を精査しても原告には従前から本件事故後に示す程度の愁訴があつたとは窺われないから、本件事故により、既往症による痛みが憎悪したと考えられるのであり(この点は、大谷医師も否定しない。)、この限りにおいて本件事故との因果関係を認めるのが相当である。なお、大谷医師は、原告の頸部及び腰部脊柱管狭窄は加令によるものであつて本件事故とは無関係のものであるとするところ、これに反する藤井医師の意見は前示の理由で直ちに採用しがたく、他に右大谷医師の意見に反する証拠はないから、本件事故と原告の頸部及び腰部脊柱管狭窄との間に因果関係を認めることは困難である。

3  次に、大谷医師は、本件事故との因果関係のある傷害(原告の既往症による愁訴の悪化を含む。)は五週間の通院治療で足りるとし、藤井医師は、本件事故による傷害の治療期間は、原告の身体が加害車両の追突により約七メートル飛ばされたことを前提として、三ないし五週間では不足であるものの、通常では三ケ月ないし六ケ月の治療で足りるとする(甲一一の1ないし3。調査嘱託の回答では六ケ月から約一年であるとしていたが、乙四の大谷医師の鑑定書を検討した上での鑑定意見である甲一一の3のほうが正確であると考えられる。)。このことに、<1>前示金子病院における措置(同病院では左肘部及び関節並びに両下肢の向こう脛の湿布の措置を受けたに止まる。)や本件事故後の原告の行動(原告は、約一〇分ほど歩行して事故現場に戻り、自ら被害車両を付近の交番まで運転する等している。)からすれば、本件事故により原告が約七メートルも飛ばされたとは到底考えられないこと、<2>原告には、経年性の変形性脊椎症性変化や頸部及び腰部脊柱管狭窄の持病があること、<3>原告の長期治療化の原因について、藤井医師は不明であるとするが(甲一一の1ないし3、調査嘱託の結果)、大谷医師は前示のとおり述べており、原告の治療に当たり偽薬が用いられたり、原告は本件事故についての示談交渉を相当気にしており(乙三により認める。)、心因性の痛みもあることが窺われること、<4>原告が昭和六三年三月二八日に幼稚園の改造工事をするまでに回復したこと、<5>同年四月六日からは脳梗塞、不眠症の傷病名も加わわつたこと(乙三により認める。)、<6>下血と本件事故との間に因果関係があるとしても、昭和六二年一二月二日にはこれが止んでいることなどを総合すると、本件事故との因果関係のある傷害の治療期間は、昭和六三年三月末日までと認めるのが相当である。

二  原告の損害額

1  治療費関係

(1) 治療費 四二万五五〇〇円

甲一の1ないし3、六、原告本人によれば、原告は昭和六二年一一月五日から昭和六三年三月末日まで、被告ら又はその保険会社が病院に直接支払つた分を除き、治療費として次のとおり支払つたことが認められる。

<1> 横浜南共済病院 三五万五七一〇円

<2> 衣笠病院 二万九九一〇円

<3> 汐田総合病院 三万九八八〇円

(2) コルセツト代 二万〇七五〇円

甲八の2、乙三によれば、原告は昭和六三年一月一一日にコルセツト代として二万〇七五〇円を支出したことが認められる。

(3) 入院雑費 二万八八〇〇円

前認定のとおり原告は昭和六二年一一月七日から一一日まで衣笠病院に、また、昭和六三年二月二日から二〇日まで横浜南共済病院にいずれも検査のため入院したのであり、その雑費として一日当たり一二〇〇円、合計二万八八〇〇円を要したものと認める。

(4) 通院交通費 一〇万一四〇〇円

甲五、原告本人によれば、原告は昭和六二年一一月五日から昭和六三年三月末日までの通院のため、一〇万一四〇〇円の交通費を要したことが認められる。

(5) 通院のためのガソリン代 なし

原告は、甲八の6ないし9を提出するが、通院にあたり、乗用車や自動二輪車を使用したことを認めるに足りる証拠はない。

(6) 医師への謝礼 四五〇〇円

甲八の3によれば、原告は昭和六三年四月一六日に医師に対して四五〇〇円相当の物品の進物をしたことが認められる。

2  休業損害 一三五万三三三三円

甲一〇の1ないし3、乙六、原告本人によれば、原告は、本件事故のあつた昭和六二年は、三月三日から九月三日ころまで(書類上は九月一八日まで)米軍キヤンプで建築の仕事をし、月平均二〇日間の勤務で二一万円の収入を得ていたこと、その後は福本建築で大工の仕事をし、九月五日から同月末まで二六万九五〇〇円の収入を得ていたが(基本給は一日当たり一万四〇〇〇円)、一〇月は怪我のため休業したことが認められる。このように原告の本件事故前の収入については流動的であるが、右事実から本件事故がなければ、月平均二〇日間一日当たり一万四〇〇〇円の収入を得ていたものと推認される。また、前認定の事実によれば、昭和六二年一一月五日から昭和六三年三月末日までは、原告は入通院のため殆ど休業したことが推認されるから、この間の休業損害は、一三五万三三三三円となる。

計算 14,000円×20×(4+25/30)=1,353,333円

3  慰謝料 一二〇万〇〇〇〇円

本件事故の結果、原告は前示傷病の治療や検査のため昭和六二年一一月五日から昭和六三年三月末日まで横浜南共済病院等に入院したこと(入院日数合計二四日)を始めとし、本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、入通院慰謝料(傷害慰謝料)としては一二〇万円が相当である。

4  右の合計金額は、三一三万四二八三円である。

三  損害の填補

被告らは過失相殺を主張するが、その点は暫く置き、損害の填補について見ると、被告ら又はその保険会社が病院に直接支払つた分を除き、原告が本件事故による損害賠償金のうち金として既に三七六万一〇七八万円を受領していることは当事者間争いがない。

右金額は、前認定判断の原告の損害額の合計よりも上回る。

第四結論

そうすると、原告の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく、理由がないから棄却すべきである。

(裁判官 南敏文)

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